いくつもの棟からなるトヤマビル。細部に見える歴史の数々に創業の思いが宿る。
大阪中に点在する素晴らしいビルを巡る「ぶらり大阪ビル散歩」。
第七回目となる今回は、地下鉄「堺筋本町」駅のほぼ真上にある大阪ビルディング協会 正会員の(株)トヤマビル様所有のトヤマビル を訪問しました。
本館竣工後、約20年かけて少しずつ成長していった独特の歴史が作り上げた、
外から眺めただけでは想像できない、複雑な内部の様子をお届けします。
トヤマビルとは?
昭和26年(1951年)に現在の本館北側が竣工。
創業者の戸田孝平氏と親交のあった二代目・伊藤忠兵衛氏が、創業者の出身地・富山県にちなんで「トヤマビル」と名付けたそうです。
戸田孝平氏自身が若い頃から建築に携わり、自ら建築したたトヤマビルにはこだわりが満載。
70年以上経った今も100室以上のテナントがほとんど埋まっているという人気ぶりが、このビルの素晴らしさを物語っています。
本館→新館→東館→中央館と、
22年かけて現在の形に。
昭和26年(1951年)の「本館(北側)」の竣工から、昭和28年(1953年)の「本館(南側)」、昭和33年(1958年)の「新館」、昭和47年(1972年)の「東館」、昭和48年(1973年)の「中央館」と、22年をかけて現在のトヤマビルの姿に。元々、増築していく予定として計画がスタートしたそうで、高度成長期や大阪万博を経て変わりゆく大阪の街とともに、トヤマビルも成長していったのではないでしょうか。
ビルが建った後に地下鉄が。
長い歴史を表すエピソード。
真下を通る地下鉄堺筋線の開業は昭和44年(1969)と、トヤマビルの竣工より後。そのため、ビルの下を工事している期間はなかなか大変なことも多かったといいます。また、古いビルのため改築や改装をする際にも大変なことが多く、中でもセントラル空調から個別空調への変更には約10年かかったとか。古いビルを「残す」と一口に言っても、そんなに簡単なことではないんですね。
レトロビルが少なくなる中、
いかに歴史を残していくか。
大阪には今もレトロなビルがたくさん残っています。トヤマビルがある堺筋本町にも以前はたくさんのレトロビルがあったそうですが、今はそのほとんどが建て直され、当時の面影を感じられるビルは少なくなったそうです。そんな中でも三代目である代表取締役の戸田和孝さんは、これまでトヤマビルに携わったたくさんの人とともに、このビルを「自分のビル」として守り、大切に育てていくことを選んだといいます。
それでは中に入ってみましょう!
いたるところに段差、段差。
ビルの中を歩いてみると、本館(北側)から本館(南側)に、「新館」から「中央館」に、棟をまたぐ度に段差、段差の連続。元々ある棟に新しい棟をつなげる度に段差が生まれ、それを階段でつないでいったんだな、と、建築に携わった人々の知恵に感嘆。もちろん、それぞれの棟に入り口があるため、入居している会社で働く人々は不便を感じておられないと思いますが、こうやってビルを歩きまわると、横にも縦にも広がる迷路のようで面白いんです。
当時を懐かしむ
ディテールの数々。
ビルの中を歩いていると、テナントの中のフローリングが竣工当初のものだったり、壁にダストシュートが埋め込まれていたり、突然に絢爛なシャンデリアが現れたり、給湯室の入り口の真鍮のドアノブの下にドラクエに出てきそうな鍵穴が付いていたり。
エントランスの「トヤマビル」の文字が今ではなかなか見られないテイストのフォントデザインですね。様々な場所で70年の歴史を感じられます。これが宝探しみたいで楽しいんです。
新館には広々としたエントランス。
堺筋に面した西側から本館に入ると小さなエレベーターホールがあるだけですが、北側の通り沿いにある新館の入り口には、広々としていてレトロな雰囲気漂うエントランスホールがあります。では南側は?とぐるりとまわると、そこはビルとビルの狭間の細い路地。入っていくと奥には・・・なんと、バーがありました!
オフィスのエントランスも様々。
増築を繰り返したため棟によって雰囲気が異なり、さらに「壁を取り払って」「床の仕様を・・・」「照明を・・・」といった利用者のニーズに応え続けているため、各テナントのエントランスの雰囲気も様々。「本当に同じビル?」と見紛うばかりです。もちろん内装もテナントによって全く異なるとか。
取材前に堺筋からビルを眺めると、どこにでもある普通のビルに見えましたが、中に入るとびっくり。長い歴史に培われたオーナーの思いと、まるでいくつものビルを訪れたようないろんな表情を見ることができました。
歴史あるビルながら、中はしっかりと快適に整備されていて、デザイン会社からショールーム、船舶会社まで様々なジャンルの会社が入居されており、使いやすいように変化させて使う、という「お客様本位」な姿が印象的でした。本当に、ビルって奥が深いんですねぇ・・・。
おまけ
豊臣秀吉が大坂城を築城した際に原型が造られたといわれている下水溝「太閤下水」。
町屋から出る下水の排水のため、道路とともに碁盤の目状に整備されたこの石積の下水の一部が、トヤマビルの南側の細路地に残っています。
案内標識がなければ誰も気づかないくらい、ひっそりと足元に石積が見えるだけですが、現代的な道路とビルの隙間から400年以上前の城下町の一部が顔を出しているなんて、本当に不思議です。
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※掲載写真は、本記事用に許可をとり撮影をしたものです。写真撮影の可否については、事前にご確認いただきますようお願いいたします。